ニコ動は革命的なメディアか
昨日、濱野智史さんの本を読了。非常に読みやすく、個々の議論も説得的。
- 作者: 濱野智史
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2008/10/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Facebookはmixiみたいにランダムに「足跡」をつけられない(Facebookは基本的に本名を名乗り、現時点でつながっている人しかアクセスできない設計。晒したい情報だけ部分的に見せる、という設定はできるようだが)し、「足跡機能」もないっていうのは大きいよなあ。こうなると、リアルな人間関係をウェブ上に「転写」するしかないもんね。
あと、俗流「アメリカ人論」「日本人論」になっちゃうけど、こういう違いは、「パーティ文化の有無」のような気がするなあ。本来はmixiのような「招待制」がまさに「友人をあるパーティ会場に呼んで、その場で別の知り合いに紹介する」という形になるはずなのに、mixiは匿名を奨励しちゃったので、その辺がぐだぐだになったと思う(本名および本当のプロフィールを名乗るFacebookは「共通の知り合い」を介して「この人も友達では?」と勧める機能がある。mixiにも同様の機能があるけど、足跡が付けられないからFacebookはこの機能頼りなところがあるだろうな。その辺が「パーティ会場っぽい」と思ったのだ)。
濱野さんの議論で唯一「そうかなあ?」と思ったのは、彼のニコニコ動画に対する高い(高すぎる?)評価(第6章)。今のところ「違和感」というレベルで、明確な根拠を持っての反論はできないのだが、「筆者は、ニコニコ動画は百年単位のインパクトを持ったメディア史的事件であると考えています(p.226)」というのは、ちょっとニコ動持ちあげすぎのような気が。ベンヤミンの肩を持つ気はないけど、「一回性のアウラ」はどんな芸術作品からも排除できないけど、ニコ動の「いま・ここ性」は、美術館に飾ってある絵を見て感じる「アウラ」に比べて、消費速度が速い、もっと言えば「飽きられる」ことをあらかじめ組み込まれていると思うんだけど(何度も何年前のニコニコ動画を見直すことは将来一般的なものとして普及するだろうか?)。