美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

昔の官僚は?

昨日から読んでいるのは、戦争まっただ中で行われた『神社局時代を語る』(1942年)という座談会。戦前、神社行政は内務省神社局で行われており、それが1940年になって「神祇院」という特別官衙が設けられ「発展的解消」をしたのだが(勿論戦後すぐにこれは廃止されることになる)、その神社局長、課長歴任者が過去を振り返るという趣旨で、ざっくばらんに思い出話を語っているのだが、面白いなあと思ったのが、「率直な反省」の表明だ。特に、明治後期から大正にかけて行われた神社整理(村には一つの神社で良かろうと、来歴の怪しそうな祠や小さなものを統合して整理しようとした。民俗学者柳田国男南方熊楠が反対したことで有名)について「ありゃあ、やりすぎだったね」と複数の元局長が述べているのが印象深い。神祇院誕生を祝うような座談会の席上だったからかも知れないが、過去にやってしまったことにこれだけ率直に反省の弁が出るところにちょっと感心してしまった。昔の官僚って、今よりお上意識は凄かったと思うけど(当時の知事なんて、内務官僚から選ばれて赴任していくんだから)、素直ですね。まあ、やはり神社なんて大したことがないとどこかで思っているから出た言葉かも知れぬが(実際、神社局は内務省の中でも「暇な場所」として認識されており、何人かの局長は「あんな暇なところじゃ、君の能力は発揮できないだろう」と好意から言われた体験すら話している)。
今の官僚で、自分が先頭切って行った事業に対して数十年後に「あれはまずかった」と素直に座談会で喋れる人はどれだけいるかな。