美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

読み返す

昨日、yskszkさんが書いた日記にブックマークしたのだが(一部共感したので)、休日の今日、改めて川原泉の、このところ「ホモフォビア」の作品として取り上げられている2冊を読み返した。

レナード現象には理由がある (ジェッツコミックス)

レナード現象には理由がある (ジェッツコミックス)

この本に所収の「真面目な人には裏がある」が問題の作品。
ゲートボール殺人事件 (花とゆめCOMICS)

ゲートボール殺人事件 (花とゆめCOMICS)

↑僕は、花とゆめコミックスの方で持っているので。「Intolerance・・・―あるいは暮林助教授の逆説」所収。

確かに、良く読めば、指摘されているように、あまりにもあからさまなゲイヘイト、と言うか偏見が描かれている。そのことは、「ハナログ」さんのこちらのエントリ「みやきち日記」さんのこちらのエントリを参照(ご両人の見解は非常に説得的だと思う)。
そして、僕が何よりもショックだったのは、上記のような指摘を目にするまで、川原泉の作品に含まれている「ホモフォビア」にほとんど引っかからずにスルーしていた自分の「鈍さ」だ。このことは、虚心に反省すべき事だろうと思う。「気がつかない」というのが、まさに「既得権」の保持者である証拠、と言われれば、一言もない。しかし、yskszkさんが自らブックマークしていうように

「30代・男性・大卒・ホワイトカラー・地方中核都市出身・日本国籍所有・異性愛者」ってのはいまの日本では圧倒的に「メジャー」で、そんな自分が誰に理解を示してもウソっぽくなるのだよなあ。

という自己分析に、僕も共感してしまう。単なる開き直り、と取られると困るけど(そういう要素があるのは認める)。

もうひとつ言い訳をするなら、「暮林助教授」のテーマは、ホモセクシャルへの嫌悪が物語の柱として前景化していないので、ついついスルーしてしまったのだと思う(まあ、これを最初に読んだのは高校時代だったけど)。あの物語は「相手の残り1%まで拘束しようとする」(暮林助教授談)タイプの人間への嫌悪の方がメインテーマだったので、ホモフォビックな傾向性は隠れてしまいがちだと思う。

「真面目な人」の場合は、川原さんが「詰め込み勉強」(笑)したであろうBLの知識の蘊蓄や、ソフトからハードまでのセレクション表(p.142)に思わず笑ってしまったのが一つ、そして何よりも、意識的にか無意識的にか、バジリスク扱いを受けているゲイの塔宮雅斗が、感情移入しにくいキャラ造形になっているからだと思う(この辺り、みやきちさんは「同性愛者の内面描写はほぼ皆無で、ゲイをまるで「感情のない書き割り」または「都合のよいおもちゃ」のように扱っている」と指摘している。これも考えねばならないことだろう)。あと、日夏の両親が理解を示す、という展開に、知らず知らず自分を重ね合わせて自分を免責していたのだろう(ホモセクシャルに反射的な理解を示すことはできないが、話していくうちに理解していくこの両親は、僕と大差ないほどほどの「偏見」の持ち主だから)。ま、「ホモ判定実験」は初読の時から「こりゃダメだ」と思ったけど。

もうちょっと、この件に関しては考えたいと思う。

追記:ちょっと思いついただけだが、どうして僕は、川原泉の上記のような発言に引っかからなかったのと同時に、例えば『パタリロ!』のバンコランとマライヒの関係も取り立てて問題にせず、そのままスルーしていたのだろうか・・・。