美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

歴史教科書採択問題

「自分のことをバカかも知れないと思うことができない人間」を、「本当のバカ」と呼ぶのに習って、「自分はもしかしたら偏っているかも知れない、という考えすら浮かばない人間」を「本当に偏向した人間」と呼ぶことができると思います。今回の採択騒動は、こういう人によって担われてしまいました。
本当に腹立たしく思っています。何たって、僕は「偏向している人間」ですから(笑)。

さて、「自国にプライドをもつ人間の育成」を目指すと、例の教科書の作成者および支持者は言っているようです。「自虐史観」では、国際的な尊敬を得るような人材は育たないと。でも、それは端的に間違いです。
そもそも「プライドの高さ」というものは、「謙虚さ」によって担保されるべきだと思います。「プライド」なんてものは、自分で声高に主張しても、その根拠がないと鼻で笑われるものですし。人の話を聞き、夜郎自大にならない人は、自然と周りから尊敬されます。そのような青少年の育成をこそ目指すべきでしょう。簡単なことです。

何度も言いますが、東アジアの他の国々を批判するその姿は、あなた方が「仮想敵」と見なすかの国の人々(しかも嘘・大袈裟・紛らわしい)に似てしまっているのですよ。自分が脳内でこしらえた敵に似てしまうこと、これほど滑稽な姿はありません。