美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「オレ様化」問題

ようやく、この新書を読み終えた。京都と大阪の往復は結構時間が掛かるので、車中で読了。「客観性の欠落」というのは、よくわかる。ネットは、それの応酬だもの(笑)。みんな「オレ様化」して、人のブログとかカキコに一方的なけちをつける人が結構いるもの。まあ、ネット界は水平的な「等価交換」の世界だから、致し方ないところもあるけど、教育は、宿命的に垂直的な関係なんだから、そういう「等価交換」の論理を持ってくると、途端に破綻する。

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

この本では、宮台真司先生と上野千鶴子先生への批判が白眉。確かに、お二人とも典型的な「受験エリート」だしなあ。
学校の問題は偏差値ではなく「人格」に介入する(せざるを得ない)からだ、というのは、内田樹先生も言っていたな(徹底的に偏差値でしか生徒を評価しない塾や予備校では「校内暴力」は起こらない)。でも、人格への介入を行わない初等教育というのは、まず無理。だって、初等教育それ自体が「社会化」という名の「人格介入」なんだから。この本は「よく考えれば当たり前」だけど「みんながうっかり見落としている部分」にスポットを当てた良い問題提起の本だと思う。読みやすいし。

ちなみに内田先生によるこの本の書評はこちら。

http://blog.tatsuru.com/archives/000850.php

なお、大学でも、養老先生の『バカの壁』じゃないけど、妙に自分の意見に固執して、僕やほかの学生からの質問を受け付けない学生もちらほら見える、と言うのも確か。まだ、幸いなことに僕が今まで受け持った学生ではホンの数人だけだが。「僕的には」「私的には」というのも、実はその一歩手前、ってことがよくあるし。

でも、少なくとも大学っていうところは、自分が「いかにできないか」というのを味わって、人間的に成長する場だと、古くさい僕は思うぞ。僕だって、大学に入って、打ちのめされて、ようやく人当たりの良い(本当か?)現在の僕になったのだから。