美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

日本人が偉いんではなく、彼らが偉いだけなんだけど

今日は、ちょっぴり僕としては変わったテイストのものを購入。

日本人は偉大だ

日本人は偉大だ

いつもなら、この手の本は買わないんだけど、今回買ったのは、韓国・朝鮮に関わる人を何人か取り上げていたからだ。望月カズ(韓国にそのまま居続け、孤児を何十人も育て上げる)、織田楢次(植民地期のキリスト教伝道師)、浅川巧(朝鮮美術の紹介者)など。特に望月さんの情報を少しでも手に入れたいと思って購入。実は、僕は1979年から82年まで、韓国のソウルにいたのだが、その時、僕の通っていたソウル日本人学校の同級生には、望月さんが育てていた一人の少年がいたのだ。彼のことを思うと、今も胸が痛む(独りよがりな感傷なのは重々承知)。

記憶に残る講義

今夜も、馴染みのカフェに行って読書。だが、隣の女の子二人連れの会話の声が大きくて(携帯メールの音がかき消されるくらい)、集中できず。何となく聞いていると、二人は京大法学部の学生らしく(先輩後輩の間柄のようだ)、「誰それ先生の講義は面白かったよね」「ああ、私も取ってましたぁ」みたいな、まあ、「アカデミック」な話題だったので、「ちょっと静かにしてもらえませんか」という気も起きなかった(あと、ボランティア活動の話もしてたし)。
声の大きさはともかく、僕は卒業後教え子から「こういう風に話のネタにされるような講義をしてきたか」といえば、勿論忸怩たる思いをせざるを得ない。とは言っても、僕なども実は、記憶に残っている講義は本当に数えるほどしかない。気長に、この十年ほどの間に、自分でも会心と思える講義やゼミを運営できればな、と小さく誓う(僕の声は彼女たちの声にかき消されたはず)。