美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

観察映画「演劇2」

今日も、想田和弘さんの映画を見に行く。前の「1」は主に平田オリザという劇作家/演出家の「劇の作り込み」に密着した内容だったが、この「2」は平田オリザさんがどのように自分の劇団を運営し、各種ワークショップや大学で教育しているか、という「演劇という非日常を支えている日常の営み」に密着した内容。
演劇という芸術は言うまでもなく、ものすごく手間とお金のかかる芸術である。頭と自分の手だけがあればできる、というものでは決してない。場所も取るし、劇団員は食べさせねばならぬ、もちろん自分自身も。平田オリザ氏は「今度の文化庁からの助成金がもらえなければ、倒産だ」という苦衷も余さず吐露し、「できる限りの手を打つ」という戦略を、淡々とこなす。できるだけの手を打つ、というのは、政治家に働きかけたり(民主党の皆さんが映っているのが今となっては少しもの哀しい)、行政主導の演劇祭を一緒に盛り上げたり(鳥取で行われた「鳥の演劇祭」)、小中学校のワークショップで生徒に指導し、教員にも演劇の重要性を認識してもらい、大学でも実験的な演劇を作り(ロボットを使用する)、海外公演で労を厭わずどんどん行く、というように「ここまでやって助成金をもらえなかったらしょうがないよね」と言うほどの恐ろしいほどの仕事をこなす平田さんの「日常」を余すことなく撮影している。しかも、平田さんは相変わらずあの貼り付いた笑顔で全てをこなすのだ。ここにこそ人間平田オリザの恐ろしさがある。そしてこれだけ長時間、平田さんのあの貼り付いた笑顔を見ると、なぜかあの笑顔に「アディクト」しちゃうんだよね(笑)。
あと、僕は教師の端くれなので、この映画の最初の方にあった中学校でのワークショップ(生徒にあるシナリオを渡して、それをグループごとにアレンジさせる)は感心した。僕も時々、ある課題を出して小グループで話し合わせるグループディスカッションを行なったりするが、なかなかうまく行かないんだよねえ。
あと、ロボット演劇は、ただでさえコンマ単位で間を取らせる演出方法の平田さんが、コンピュータプログラミングで「あと0.3コンマずらして」というような演出を究極的に推し進めている様子がすごい。プログラマーは大変だが(笑)。
そして最後の平田さんのあの「笑顔」。この笑顔に辿り着くまで想田さんが苦労したことが伝わってきた(それほどの笑顔です)。
以下の映像は、もうちょっと進化したロボットで演劇をしたあとの平田さんと想田さんのトークショー