美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「日本文化論」の典型としての『國體の本義』

今日は、久々の院ゼミ(約1ヶ月ぶりか?)。今日の課題図書は『國體の本義(やっぱ、ここは旧字がしっくり来るよな)』(文部省編、1937年発行)。実は、妻が学部時代のゼミでこれを読んでおり、そのコピーが「発掘」されたので、僕がもらい受け、「たまにはこういうのをみんなで読むのも面白かろう」と思って、レジュメを作らず好き放題にしゃべり合う。
勿論、内容は今から見れば突っ込みどころのオンパレードなのだが、この本の主旨は「そういう賢しらな論理・理屈を越えて日本の国体、ひいては天皇は偉いのだ。なぜなら偉いというのは過去から現在、そして未来永劫続くのだから」とトートロジカルに宣揚することなので、その論理の瑕疵を言い立ててもはっきり言って意味がない。
僕としては、つい習性でこの本の宗教観などに注目してしまうのだが(例えば仏教に関してはやはり「鎌倉新仏教中心史観」ぽいなあ、とか)、それよりも気になったのは、戦前・戦後連綿と続くいわゆる「日本人論」の典型としての性格だった。日本人論に関しては、小熊英二先生、南博先生の網羅的なものから大小様々な「「日本人論」論」が既に存在し、そこでこの本については触れられていることも多いが、内容としては「日本は外来文明・文化を咀嚼し、自分のものにしてきた(これなんかは、似たようなこと、丸山真男も言っているよね)」「西洋は自然を支配する文化、日本は自然と和する文化」とか、後の「日本人論」でさんざん言われることもしっかり盛り込まれているんだよね。
あと面白かったのは「我々は西洋の個人主義に立脚したようなファシズムとは違う」という自己認識。この本ではまだナチスには高い評価は与えられていないのだ。ついでにいうと、この本の発行が日中戦争の直前という時期的な問題も注目に値しよう(これは院生H川君の指摘だった)。このある意味「狂信的」と見える本は、戦争が本格化する前に既に出ていたということ。これは考えねばならない問題だろうなあ。

国体の本義 (1937年)

国体の本義 (1937年)

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)

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単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

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