美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

ケガレ論の射程

今日は講義の予習もあって、この本を読了。

排除する社会・受容する社会―現代ケガレ論 (歴博フォーラム)

排除する社会・受容する社会―現代ケガレ論 (歴博フォーラム)

編著者の関根先生の「熱さ」がよくわかった(とくに最後のシンポの再録で)、というのはともかくとして、関根先生の言うケガレ論の射程はなかなか面白いんだけど、応用が難しい気がしたなあ(そのあたりは、僕も、著者の一人であるトム・ギル先生と同じような感覚かな)。sacreという言葉が「聖なるもの・けがれたもの」という両義性を持つ、という議論は昔からなされているけど(要するに、絶対値の問題、とみなすわけだ)、関根先生の議論は「ケガレ」は独立した言葉で、「浄・不浄」のような対概念として存在しているのとは違う、だから「浄の欠落態」としての「不浄」ではなく、ポテンシャルを持った「ケガレ」を掬いあげる道を模索するべき、ということだと思うのだが(興味ある方は僕の言葉足らずの要約よりも本文にあたられたし)、「で、具体的にはどうすれば?」という疑問がどうしても湧いてしまうんだよな。それは自分で考えるべきなのは百も承知なのだが。