美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

学内研修会

今日は午後から学内研修会。テーマはずばり「カウンセリング及び学生の支援をどうするか」ということで、うちの大学に非常勤で来られているカウンセラーの先生からの問題提起と現状報告。「最近はそういう学生が増えて・・・」という声は教員間でよく聞かれるけど、様々な窓口が設置されたおかげで単純に「顕在化」しやすくなっただけだと思う。昔から一定数はいたはずだし、そういうのはいつの間にかフェードアウトして「大学ではそういうのはありがちだよね」とスルーされていただけに過ぎないと思う。
僕もこの大学に勤めてほぼ8年になるが(早いなあ)、大体、毎年平均して一人はメンタルな問題を抱える学生と対峙している(これでも少ない方かも)。それに、僕のゼミは他の先生のゼミに比べて敷居が低いと思われるのか、そういう学生がどうしてもある程度来ちゃうんだよね。まあ、このご時世、大学教員でそういう問題を抱えた学生に出会ったことがないという方が少ない、というか、そんなラッキーな人はほぼいないと思うけど。
というわけで、他人事ではないので参加したわけだが、まず言わねばならないのは、この問題は、個々の教員の努力や資質であれこれ言っても仕方ないってこと。僕なんかは、19年ほど前、宗教学科に進むか、教育心理学科に進むかで悩んだことのある人間だけど、カウンセリングに興味はあっても、プロではないし、ましてや「向いている」とも思えない(そう思えたから、宗教学科にしたんだけど)。
だから、ある部分は機械的に、例えば一年にある単位以下しか履修できなかった学生は自動的に「黄色信号が灯った」と見なし、早めに相談を促すとか、親御さんに成績表を送って問題意識を共有してもらうとか、そういう仕組みを構築すべきだと思う。「大人」である大学生にこういう措置をするのは個人的に心苦しいけど、そうもいっていられない現状があるのだ。ちなみに僕の兄が通っていた某私立大学は20年以上前に、単位のやばい学生の親に成績表を送りつける「サービス」をしていて、「悪行」がばれた兄は父にボコボコにされ、下宿を引き払わされたりもした(笑)。まあ、僕の家族の思い出話はどうでも良いが、今までそういう仕組みがなかったからね、うちの大学。敢えて弁解すれば、まさに学生を「大人」扱いしていたわけだけど、そのツケがどうしようもなく膨らんできた、というところか。
カウンセラーの先生から学生の特徴(自信喪失気味、人の目を気にするとか、ある意味当たり前の特徴)をお聞きしていて、つい思ったのは、今日の新聞広告で見た『週刊現代』の「「東大までの人」「東大からの人」」という特集(笑)。さっき、立ち読みしてきたけど、まあ、よく判る話だよな。田舎じゃ一番でも東大内では平均点、というのは良くあることだし、自分が見たこともないようなすごい奴に会うことも多い。それで自信喪失、というのはわかりやすい話だけど、自分の「負け」を素直に認めて、「あいつらから吸収してやろう」という方にポジティヴに変換できないかな、なんて呑気なことを思ったりもした。何せ、僕がそういう風にやり過ごした人間だから。