美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

今日も研究会

今日は「朝鮮史研究会」という学会の、関西例会に出席。今日の発表者は、現在国際日本文化研究センターに客員研究員で来ていらっしゃる尹海東(ユン・ヘドン)先生。タイトルは「植民地近代の公共性―変容する公共性の地平」というもの。僕は昔、先生の論文を引用したことがある。以下の本に収録されている。

植民地近代の視座―朝鮮と日本

植民地近代の視座―朝鮮と日本

要約するのもなかなか難しいのだが、尹先生が前々からおっしゃっているのは、植民地朝鮮において、もちろん朝鮮人は例えば政治や経済的な側面で圧迫を受け、疎外されていたのだが、それだけでなく、階層の違いも越えた何らかの「公共性」が存在していたのではないか、という問題提起である。要するに、その時代の朝鮮人の主体のあり方を問い直したものと言えばよいか。
これに対して、僕の師匠のひとりでもある趙景達先生が「民衆の大部分は、植民地公共性(公共圏)から疎外されていた。植民地公共性なんかは幻想的なもの」と反論し、植民地を巡る論争が継続中である。そもそも、僕も趙先生から、似たような批判は、博士論文試問の時に散々言われたのだが(要するに、例外的なエリートだけ見て、民衆や、宗教に頼らざるを得なかったような人々の姿を捨象している、という批判。その通りなので、反論のしようがなかったが)。
植民地期朝鮮の知識人と民衆-植民地近代性論批判-

植民地期朝鮮の知識人と民衆-植民地近代性論批判-

僕は両方の論文を読んで、おいしいとこ取りを目指しているコウモリ野郎というか、二股膏薬なので(笑)、著書にはこのお二人の論文を隣接して引用し、注をつけています。でも、どっちかというと、尹先生寄りだけど、趙先生の指摘するような問題にも目を配りましょうね、というある意味「穏健」な意見を言っているのだが。
植民地朝鮮の宗教と学知―帝国日本の眼差しの構築 (越境する近代)

植民地朝鮮の宗教と学知―帝国日本の眼差しの構築 (越境する近代)

と、またまた拙著の宣伝をしちゃうわけだが、尹先生に差し上げるため、研究会の直前に、梅田の紀伊國屋書店で、自分で買う。自分の本を買うっていうのは、変な高揚感とがっかり感が同時に来る体験ですね(笑)。