美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「地元の慣習」はどこまで許容されるか

大袈裟なタイトルだけど、新聞を読んで思ったこと。大阪高裁で、京都の賃貸マンションに関して「更新料は根拠がないから無効」という判決が出たのを読んで、ふと思った。
僕は実は今、京都なのに「更新料がない」という条件のマンションに住んでいるのだが、それと引き替えに「敷引契約」は借りるとき結ばされている。「敷引」というのは、いくらかの保証金を預けておいて(大体、家賃の3〜6ヶ月分くらいが相場か?)、出て行くとき、そこから最低数十万円かが引かれるという制度で、まあ、「保証金」という名前ながら、「敷金と礼金」が合わさって名前を変えたような制度。僕はここに住んで8年目で、2年おきの更新なら既に6ヶ月分くらいの更新料は払わされていたはずので、一応そういう面ではようやく「黒字」にはなったが(いや、よく考えたら黒字じゃないよな。精神的には「黒字」だけど)、こういう賃貸に関する制度が地方ごとにバラバラっていうのは、やはり納得がいかないものがあるよな(特に京都は悪名高いし)。「地方特有の慣習を大事にしよう」という掛け声は地方尊重で耳には心地良いけど、こういう不透明な慣習も入れて良いのか。
「裁判で争ったら勝てる」ということで、引っ越し前の最後の二ヶ月はわざと家賃を払わなかった(敷金で支払い済み、という解釈かな)という剛の者もいるらしいけど(その人は弁護士)、一般人はそこまで強気にはなれないしね。
ともかく、ちょっとは賃貸契約に透明性が増せばいいなあ、とありきたりの感想を持った。