美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

ある意味「純粋さ」の現れ?

気になりつつもスルーしていたニュースがあった。それは、「幸福の科学」が政党を作り本格的に政治に打って出ようとしている、というニュースだった。この短い記事からは何とも言えないのだが、ブックマークでisikeriasobi先生からご質問もあったので、これを機会に思ったことをつらつら書いておく(今、大学は静かで暇だし)。
で、ブックマーク先の記事は、「幸福の科学」の雑誌の目次なのだが、実は僕、この雑誌をこの二年間ほど毎月送ってもらっています。大学時代の知り合いで、この教団関係者がいるので。もらっておきながら、実はちゃんと読んではなかったのだ(済みません)。こういう商売(宗教学者)をしていると「ああ、例のアレね」というように、トンデモな主張や記事もスルーしてしまう癖が付いてしまっていたからだ。
そこで、例の記事を読み返してみましたが、うーん、これは・・・。この教団の教祖が、歴史上の偉人を呼び出して「霊言」を語る、というのは昔からのスタイルで、僕も過去にソクラテスを始め、様々な「霊言(この教団の教祖経由の)」を読みましたが、この手のものは、結構「良いこと(道徳的にまあまあ真っ当なこと、って意味です)」を言っている場合も多いので、一概にバカにはできない、というのが僕の実感です(過去の偉人の霊が言ったとは信じはしないけど)。
でも、今回のは、えらく生々しいですな。何か、「こうあって欲しいアメリカ(具体的には日本にそれほど干渉せず、しかも日本の軍事力増強を黙認するような)」というのをオバマの守護霊という名前を借りて語っているような、そんな生臭さを感じます。
雑誌全体は、バックナンバーの目次を見ると判りますが、(超)保守的な傾向を隠さずに出しています。これは、ある意味先輩教団である「生長の家」と通じるものがあるでしょう。政党名を「幸福実現党」にしたり、雑誌でオブラートに包まない表現を使うところなどに、僕は彼らのある意味の「純粋さ」を感じます。id:isikeriasobi先生の「宗教も本気で政治を目指す過程で、適当に世俗と折り合いをつけると思うのだが」というご質問に、僕は「良くも悪くも、まだ議席も取ったことのない「純粋さ」が出てしまったのかも知れません」とお答えしましたが、そういうことです。特定議員の応援だけでは「飽き足らなくなった」のでしょう、恐らく。彼らはネタではなく、マジだからこういう表現をしてしまっているのだと思います(かつてのオウムの「真理党」ほどではないにしても。あれは純粋すぎました)。
あと、政教分離についてですが、ブクマやブログを見ていると結構誤解している人が多いようなので、一言だけ言うと、宗教者が政治に関わること自体が政教分離違反というわけでは全くないです(そんなこと言ったら、何らかの信仰を持った人は政治家になれないことになります)。まず政教分離とは、国家(行政側)が宗教(信仰)に干渉しない(便宜を図らない)、ということが第一の意味です(憲法20条、89条参照)。宗教政党は、自分の信仰に基づきつつ、他の人にも利益になるようなこと(例えば分かり易い例だと、慈悲心に基づいた福祉政策など)を目指すべき存在で、信者だけ優遇されるような政策を行おうとしたら、それは許されないことになります。ですから、今回の幸福の科学の動きは、ある意味当然の権利であり、その行おうとしていることに反対なり賛成なりすれば良いだけです(僕個人は、皆さんの予想通り、彼らの政治観とは相容れないですが)。
なお、僕は宗教学者ですから、ある教団を簡単に「カルト」などと名指しすることは控えています(ブクマなどで、僕のそういう態度がぬるいと批判されたことも承知していますが、学問って、そういうものです。床屋談義は別のプライヴェートな場所でやっています)。