美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

好きな人だけどうぞ

自分の肉親(父や兄)が靖国神社勝手に祀られていることが耐え難いという訴えは、残念ながら予想通り敗訴となった。殉職自衛官護国神社合祀訴訟から、こういう流れは変化しないんだよなあ。
僕は前々から言っているが、靖国が好きな人、あそこに自分の肉親が祀られていると思い、それを誇らしく思う人の「自由」は当然ながら認める。でも、みんながみんなそうじゃないって事くらいいい加減そろそろ認めても良いと思う。「好きな人だけどうぞ」という、普通の宗教法人靖国は脱皮するべき。「民営化」されて、60年以上経っているんだから。そうしたら、こういう訴えに靖国も煩わされなくて済むのにね。
そして、靖国に祀られる人がほとんど増えず、参拝者もそれに従って減少していくというのが「美しい姿」だろう。建物を縮小とかは無理でも、数十年後、もしくは百年後くらいに靖国神社の職員は半減しているくらいが、日本全体にとっては望ましいよね(要するに、日本がそれだけ平和だって事だからね。言うまでもないけど)。