美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

個性的とは

今、学部ゼミで、心理学重視の社会の風潮を批判的に見るべく、森真一さんの『自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)』を読んでいるが、参考になるかと思い、土井隆義さんのブックレットを昨晩から再読。

やっぱりコンパクトによくまとまっている。これを読むと、学生達にも「個性的であれ」なんて、とても言えなくなる。
でも大体学生の皆さん、君たちは僕が色々言ったって聞かないじゃない(笑)。その話の聞かなさ具合が、既に君たちの個性の発現なんだよ、実は。自分らしさなんて、否定されても叱られても懲りずに出てくる「何か」なんだから。業、というのにも似ているかも知れないな。
でも、この考えも、「個性の磨かれざる原石が各自の内部にある」という考えに近いから誤解を受けそうだけど、僕の言いたいのはそういうことではなくて、否定する、叱るというのは「コミュニケーション」の一例であって、その相互行為の中で気付いていくもの、ということだ。このinteractionを経ていないものは個性とは呼ばない。それは「思いこみ」というのだ。