美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

古本屋・中古CD屋さんに行かなくなって

昨日、夜の懇親会で、京大出身のT部先生から「京都って、まだ古本屋が残っている?」と質問された。今出川とかの古本屋街のことだろう。「先生がいらっしゃったときよりは減っているでしょうけど、まだ何軒かありますよ」と答えた。でも、よく考えると、僕も、東京で貧乏生活をしていたときに比べて、京都に来てから古本屋に通う頻度は明らかに落ちている。古本屋に行かずとも、新刊で本を買える身分になった、というのが一番の理由だろうが、それと共に、ネットによる検索で足を棒にせずとも良くなった、というのも大きいだろう。CDやレコードも同様(ヤフオクというのもあるからね)。
でも、これは大きな損失もあると思う。というのも、学生時代の古本屋巡り・中古CD屋巡りにおいては、お目当てのブツを探し出す喜びと共に、「え、こんな本があったのか」とか「こんなマニアックな品揃えがここにあったとは」というような思いがけない発見と知識の吸収があったと思うからだ。僕は雑学屋と言われているが、本からの知識もさることながら、こうした街歩きによる吸収の部分も結構あると自負している。ネットでのデジタルな検索では、思いがけないものにぶつかるというような喜びの頻度は下がる。
もっと僕は街を歩かねばならないな。暑さが退いてからにしたいけど。