今日、ミネラルウォーターを飲みながら読んでいたのはこの本。
- 作者: 水間碧
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2005/02
- メディア: 単行本
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少年愛ものではどんなに優れた作品を描いても本来のテーマが読み取られることはなく、「客体としての性からの逃避」とか「生々しい性がまったく描かれていない」としか言われなかったからである。当事者がそうした世間の決めつけに「そうではない」ことを示すには、作品に性差別的に捉えられた男女関係のアナロジーとしての支配と隷属の少年愛関係や、できるだけ生々しいセックスシーンを描くしかない。そうして生まれた表現が、すなわちヤオイである。(中略)
つまりヤオイは、その形式(スタイル)において、社会の揶揄と嘲笑に対して直接的に答えたものだった。しかし答えたことによって、当初、女性の少年愛嗜好に含まれていたジェンダーレスの可能性は潰え、むしろ悪しきジェンダーの虜囚となったのである。(pp.256-262)
なお、彼女は分析の道具として、フロイト的な視座、ユング派の分析心理学、深層心理学から色々援用しているのだが(アニマ、アニムスとか、元型論ですね。「男根をもった母」なんてのもあったな。クリステヴァもどこかで使っていたし)、なぜ「少女にとって、少年愛ファンタジーは「母」からの脱出のスプリングボードになる」のか(彼女はそう主張している)、その理路がよく僕には飲み込めなかったのだ。これだけ日本において「少年愛嗜好」が女性の間に伏流しているのは、個人的な原因ではなく社会的な理由があるだろう、という考え方には同意するが、なぜ「少年愛」なのか、という必然性がよく読み取れなかったのだ。もう一度考えてみるつもりだけど。
母親との葛藤というテーマを、少年愛という「迂回路」を通らずに、モロに捉えた樹村みのりなんかは、この著者にはどのように評価されるのだろうか、ちょっと気になる(樹村みのりも、世代的には「24年組」である)。
- 作者: 樹村みのり
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1990/03
- メディア: 単行本
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